教本『大自然の法則と人間の使命』
第二十一章 絵解きとご意趣の解明
凡例:金枠=原典(暗記対象・出典付き。主に『実踐哲学の学び(その2)』に依る)/灰枠=〔編者注〕・譬え・具体例(原典の言葉ではない)/〔出典:…〕=地の文中の典拠。教義は不変、原典は実在テキストからの引用のみ。
掘り下げとは
絵姿を頂いただけでは、形を追う表面的理解でしかない。必要なのは、形からご意趣を紐解く「掘り下げ」という解釈だ〔出典:実踐哲学の学び(その2)〕。
掘り下げとは、深く掘ること・詳しく調べること・一つの事を深く究明すること。神佛のご意趣を深く究明することだ。
絵姿は、他人の身体を通して神佛から直接頂くが、掘り下げは人間同士の関係になる。しかし、掘り下げも人間ではなく、質問者・掘り下げ者の双方が神佛からのお言葉として理解しなくてはならない。
「神佛が、掘り下げ者の口を借りて、神佛が言っておられる」という認識を持たなくてはならない。
頂いた形を、どう扱えばご意趣に届くのか。掘り下げとは何かを図46に掲げる。
図46の読み方
図46は二段に読む。一段目は「形のままで止めない」。「絵姿を頂いただけ」では「形を追う表面的理解でしかない」ので、「何を示されたのかは分からない」。「掘り下げ(解釈)を経て」はじめて「形からご意趣を紐解く」ことができ、「神佛が何を言っておられるかが分かる」。掘り下げとは「深く掘ること・詳しく調べること・一つの事を深く究明すること」であり、「神佛のご意趣を深く究明すること」である。二段目は、絵姿と掘り下げが誰を通じて来るかの対比で、絵姿は「他人の身体を通して、神佛から直接頂く」のに対し、掘り下げは「人間同士の関係になる」〔出典:実踐哲学の学び(その2)〕。

掘り下げの重要性
一歩深めて「どうしてこのような絵姿が出るのか?」「どうして大切と言われるのか?」「どうして、いけないと言われるのか?」にまで掘り下げていくことが必要だ。
掘り下げる者も座主も会座の者も、皆で言葉を掛け合い、援助し、助け合う気持ちが大切だ。「信仰は命がけ」(当来佛)というお言葉が重みを持つ。
【原典】掘り下げの心得 『実踐哲学の学び(その2)』
「掘り下げは、答えを本人(相手)に出させ、その答えの出し方を教えていくことが大切。」(当来佛)
── 出典:実踐哲学の学び(その2)
どこまで深めるのか、そして掘り下げる側は何をする人なのか。その要点が図47である。
図47の読み方
図47は四段に読む。一段目は「一歩深めるための三つの問い」で、「どうしてこのような絵姿が出るのか?」「どうして大切と言われるのか?」「どうして、いけないと言われるのか?」にまで、掘り下げていくことが必要だ。二段目は心得で、原典は「掘り下げは、答えを本人(相手)に出させ、その答えの出し方を教えていくことが大切」と説く。だから「掘り下げ者が答えを言ってしまう」のは「本人がさとる道を塞ぐ」。三段目は「会座の姿勢 ── 皆で助け合う」、四段目は「真価を問われる場面」で、「言いにくい事・嫌な事・辛い事を言わなければならない場合がある」〔出典:実踐哲学の学び(その2)〕。

言いにくい事・嫌な事・辛い事を言わなければならない場合がある。また、それを聞かないとさとれない・救われない時がある。ここが真価を問われる場面だ。
絵姿のつながり
絵姿にはつながりがあり、以前の絵姿に連ねておられる。
「また、同じものが出た」と、わが身を省みず不遜な考えを起こすことがある。しかし、そうではないから同じことを言われるのだ。「何故、そのことを絵姿で教えられるのか?」「何故、同じ絵姿なのか?」を考えなくてはならない。
「以前の絵姿は理解したのか?実行したのか?」「もう一度この点を理解しなさいよ」「何時も同じことばかり言わせて…(しかし神佛は辛抱強い)」という思いを込められていることを知らなければならない。
同じ絵姿が出たとき、それをどう受けとめるか。込められた思いを図48にまとめた。
図48の読み方
図48は、同じ絵姿が出たときの受けとめ方を対比して読む。前提は「絵姿にはつながりがあり、以前の絵姿に連ねておられる」ということである。左は不遜な受けとめで、「『また、同じものが出た』と、わが身を省みず不遜な考えを起こす」。しかし「そうではないから同じことを言われるのだ」。右が考えなくてはならないことで、「何故、そのことを絵姿で教えられるのか?」「何故、同じ絵姿なのか?」と、問いを自分の側へ向け直す。下に置いたのは、同じ絵姿に込められている思いである ──「以前の絵姿は理解したのか? 実行したのか?」「もう一度この点を理解しなさいよ」〔出典:実踐哲学の学び(その2)〕。

ここで第四部を振り返っておく。ご神示から掘り下げまでを一本の筋に並べ、前後の部とのつながりまでを一枚にしたのが図49である。
図49の読み方
図49は、第四部の四つの章を一本の筋で読む図である。いちばん上は土台で、「観能があるから、応じたのが解るのである。応と能は、一連のものである」──神佛が能き、人が受けて応ずる。この往復が交信の正体である(図39)。中段は四つの章。第十八章はご神示で、心や頭の中で思い、答えを指に示して頂く。「神佛は心に応えられるから、言葉として口に出す必要はない」。第十九章は絵姿で、言葉の代わりに身体の姿・形で示される。原理原則では「藉身」に当たり、第三則の細目は「絵姿も報化身である」と言い切る。第二十章は絵姿の実際で、会座は一 質問、二 絵姿、三 絵解き、四 掘り下げ、五 掘り下げ終わりと進み、どの段も座主がご神示で決める。第二十一章は絵解きと掘り下げで、「神佛が、掘り下げ者の口を借りて、神佛が言っておられる」。下段は前後の部とのつながりである。第三部の三法印の二「知らせの解明」に要る霊観の入り口が、この二つであった。物差しは第十八則「正教の条件」のまま変わらず、「教理、法理に基づかない示現は、程度の低いものである」。出口は第五部の「さとり=差を取る」と、第二十四章「実行が条件である」へつながる〔出典:諸法の原理原則 第一章の細目/第二部 134頁/実踐哲学の学び(その2)〕。
