10月木曜日15

2026年10月15日(木) 知らせ・さとり

「どの様に、生きますか?」

「どの様に、生きますか?」

人は、心に持つ感情を覆い隠すことは難しい、またずっと隠し通すことは不可能に近いのではないでしょうか?
例えば、嬉しいことがあるなら、顔の表情がほころぶ、目が笑う、声のトーンが明るく元気になる。

それとは逆に、何か困りごと、悩みごとがあるなら、そのことが頭から離れなくなり真顔になり、顔の表情も固く、声のトーンが暗い、自分の周りを気にする気配りも停止するようになるのではないでしょうか?
そのように、心に思う事は必ず姿形の上に現れるものである。

心(意)に思ったこと、心の状態が言葉(口)になり、それが行動(身)となって現れ、人間の行いを形作る三つの要素、身、口、意の三業が、善悪の報いを引き起こす、心がすべての報果の因、原因である。

私たちが、投げる、また受け止めるサイコロボール(感情)は、表面には現れない目に見えない心の状態(能力)が、一切の善悪の根であり源である。

だから、その根である「心の受け止め方を変える」「受ける器を大きくする」「自分の我慾を抑えて受ける」など、心の能力を高め、他人に対してどうあるべきか?を考える、考えられる心を持てる人になるように努力をしていくことが、魂磨きになるのではないでしょうか?

大自然は言う、自分という人間が、「衆(何十億人)の中の個」「連(何十代)の中の個」として、どの様に生きるのか?生きさせて頂くのか?

そのように空間的に広く、時間的に永く、全体の中の一人として、自分の位置、分限を考えることが出来るか?出来ないか?
その考えを持つことが出来なければ、宇宙的「大自然の法則」は、理解は出来ないであろう!

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