章3

教本『大自然の法則と人間の使命』

第三章 形而上と形而下──二つの世界

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凡例:金枠=原典(暗記対象・出典付き。主に『諸法の原理原則』に依る)/灰枠=〔編者注〕・譬え・具体例(原典の言葉ではない)/〔出典:…〕=地の文中の典拠。教義は不変、原典は実在テキストからの引用のみ。

目に見える世界と見えない世界

大きな河や海の流れに、表面に見える流れと、底を流れる深い流れの二つがあるように、世の中の動きにも、実は二つの流れ・力の能きがある。

・一つは、人間の知覚に感じ取れる動き・能き・法則。この目に見える世界を「形而下(けいじか)」の世界という。学校教育で学ぶ数学・化学・物理などの法則で動く世界だ。

・もう一つは、通常の人間の知覚には感じ取れない力と動き・能き・法則。この不可視の世界を「形而上(けいじじょう)」の世界という。

本書で言う「形而上学」とは、この形而上の世界の法則を学ぶ学問である。前章で見た「自然法(形而上)/人為法(形而下)」の区別も、この二つの世界の対応にほかならない。

形而上と形而下は不離一体で、どちらか一方だけでは物事は解決しない。例えば車が故障したとき、形而下的には修理工場に持ち込んで直す──これは当然必要だ。だが形而上的には「なぜ、このタイミングで故障したのか。何の知らせなのか」を問う。これを解かないと、また次の知らせが掛かる。風邪も同じで、「無理をした」「人ごみにいた」は形而下の因果関係だが、「いつもならその程度で引かないのに、なぜ今回は引いたのか」が形而上の問いである。形而上の意味を無視すれば、また次の知らせが掛かってくる。

この二つの世界を、河の二つの流れになぞらえて図11にまとめる。上の層が表面に見える流れ(形而下)、下の層が底を流れる深い流れ(形而上)である。車の故障も風邪も、形而下の手当てと形而上の問いの両方がそろって、初めて解決に向かう。

図11の読み方

 図11は、大きな河の「表面に見える流れ」と「底を流れる深い流れ」に喩えて読む。上が「形而下の世界 ── 目に見える世界」で、「人間の知覚に感じ取れる動き・能き・法則」。下が「形而上の世界 ── 目に見えない世界」で、「通常の人間の知覚には感じ取れない力と動き・能き・法則。これを学ぶ学問が形而上学」。真ん中に二つの例を置いた。「車が故障した」なら、形而下の対処は「修理工場に持ち込んで直す。── これは当然必要だ」。形而上の問いは「なぜ、このタイミングで故障したのか。何の知らせなのか」。「風邪を引いた」も同じである。二つは「不離一体」で、「形而上の問いを解かないと、また次の知らせが掛かる」〔出典:本書 第三章〕。

図11 二つの流れ ── 目に見える世界(形而下)と見えない世界(形而上)(第三章)
図11 二つの流れ ── 目に見える世界(形而下)と見えない世界(形而上)(第三章)(押すと画面いっぱいに拡大・もう一度押すと戻ります)

この二つの世界に、前章の二つの法則(図10)を重ねると、図12のようになる。自然科学の法則と人為法は、目に見える表面の世界の法則であり、人為法が裁けるのは表に出た行為・発言・結果だけである。これに対して自然法は、表に見えない心の在り方・考えから目の前の出来事までを貫いて能き、実行がないときは合図(知らせ)となって表面に現れる。二つの法則を分ける軸は「誰が定めた法か」であり、生きるうえでの土台は自然法の側にある。

図12の読み方

 図12は、図11の二つの流れに図10の二つの法則を重ねた図である。横は世界で、左が「目に見える世界(形而下)=表面の流れ」、右が「目に見えない世界(形而上)=底の深い流れ」。縦は法則で、「① 自然科学の法則」(物理・数学・化学の法則、力の関係、化学反応、生理・経済現象)と「② 人為法(法律)」は、いずれも形而下の側にとどまる。人為法が「裁けるのは、表に出た行為・発言・結果(証拠)だけ」で、「制裁=罰(ばつ)」、「心・考えには及ばない」。これに対して自然法は、見える世界にも見えない世界にも及ぶ。どこまで届くかが違う、というのがこの図の眼目である〔出典:諸法の原理原則/形而上学のすすめ「併行世界」〕。

図12 二つの世界と二つの法則 ── 図11 に図10 を重ねる(第三章)
図12 二つの世界と二つの法則 ── 図11 に図10 を重ねる(第三章)(押すと画面いっぱいに拡大・もう一度押すと戻ります)

当来佛の出現が明かしたこと

これまで形而上学・自然法の研究は不備で、すべてを形而下的に解決しようとしてきた。日常の事件事故・不和・不都合から、不治の病・長い不遇・事業の不振まで、理由が的確に特定できず苦しむ例は多い。難病・難関に苦しんだ末に宗教団体へ走り、「憑き物」「呪い」があると言われ、理由も分からず「お祓い」「供養」を勧められる──これは宗教が学問として確立していない時代の方便である。

当来佛は「宗教は学問である」と定義された。学問とは「一定の原理に従って体系化された知識や方法」「学習し体得すること」だ。従来の宗教は、拝む・祈る・神社佛閣に参る・経典を読む・霊観で占う…と考えられ、一般庶民が学ぶべき学問的な側面がなかった。ところが当来佛の出現によって初めて、「宗教とは、大自然の法則を教える学問(形而上学)で、あらゆる学問の基礎」と分かった。

そして当来佛の教えは、次の三点で他の宗教教義と異なる。

1.「教学」と「霊観行」の二部門が体系化されている。

2.「普遍性」「妥当性」「絶対確実性」が証明されている(正教の条件・正法の三具)。

3.「教え」と「霊観」と「現実」の一致が体験できる(正教の条件・三位一体)。

この2・3の根拠が、次の第十八則「正教の条件」である。

【原典】第二部 第十八則 正教の条件 『諸法の原理原則』

── 全文は 第一章「宇宙は一つの『決まり』に貫かれている」 の項に既出(諸法の原理原則 134〜135頁)

すなわち、霊観(ご神示・絵姿)・法理(教え)・現実(出来事)の三つが一致してはじめて、正しいさとりといえる(教法の三位一体)。そして正しい法は「普遍平等・適正妥当・絶対確実」の正法の三具を備え、「四適(法・時・処・才)」に適えば必ずこの三具を備える。三つが一致しないときは、教理が誤っているか、神示が「解れ・悟れ」と促す方便か、どちらかであって、これが正しい判断の基本になる。──第一章で述べた「信じるのではなく確かめる」という姿勢は、この一則に集約されている。

図13の読み方

 図13は上下に読む。上は「四適 ── 四つに適うこと」で、「法」=法則に適う、「時」=時に適う、「処」=場所に適う、「才」=相手・器に適う。「善悪の度」は、この「四適に適う度合い」で決まる。下は「正法の三具 ── 正しい法・法則の条件」で、「普遍平等」=「時間・場所・機会・相手を問わず、誰にでも同じように能く」、「絶対確実」=「同一条件下で、絶対確実に効果・結果が現れる」、「妥当」=「誰でも納得し得る理屈・理論の上に成り立つ」。両者は「具備すれば必ず備える」という関係にある。だから「人知や仮説の理論では『絶対』は存在・成立しない」〔出典:諸法の原理原則 第一章 第四理 17頁/第二部 第十八則 134頁〕。

図13 正法の三具と四適 ── 正しい法・正しい教えの条件(第三章)
図13 正法の三具と四適 ── 正しい法・正しい教えの条件(第三章)(押すと画面いっぱいに拡大・もう一度押すと戻ります)

【原典】第五章 第一理 万物、諸行に善悪の基準がある 『諸法の原理原則』

善悪とは、箇(か)個(こ)の都合を基準としての良、否ではない。多衆の中の箇(か)個(こ)として、衆に対し、即ち社会、公共に対しての影響の良、否が基準となる。そうしてそれが「法、時、処、才」の四事に適うか、否かなのである。

つまり、善悪は、その事象、事柄、事物、業等の「相、体、性」が、多衆の中の箇(か)個(こ)として、衆に対して及ぼす「力、作、報」の良、否である。また、それが「四適」の条件を備える度合の適、不適の度が、良否の度、即ち善悪の度となる。

── 出典:諸法の原理原則 第5章「万有、諸行の基準」90頁

(善悪の基準──善悪は個人の都合ではなく、多衆=社会公共への影響の良否で決まり、「法・時・処・才」の四適に適う度合いが善悪の度となる)

『大自然の法則と人間の使命』正本v127の「第三章」を、本文の文字を変えずに掲載しています。精査前の暫定版です。金枠=原典(出典付き)/灰枠=〔編者注〕。図は正本の図をそのまま載せています。
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