教本『大自然の法則と人間の使命』
第四章 因果応報と必然の法則
凡例:金枠=原典(暗記対象・出典付き。主に『諸法の原理原則』に依る)/灰枠=〔編者注〕・譬え・具体例(原典の言葉ではない)/〔出典:…〕=地の文中の典拠。教義は不変、原典は実在テキストからの引用のみ。
偶然は存在しない
人は世の中で起こる出来事を、偶然に発生して消えていくものと思っている。しかし、全ての出来事に偶然はなく、原因・経過・結果という必然の法則どおりに起こっている。新しいアイデアや考えも、何もないところから突然湧くのではない。過去に見たり、何かで体験したり、耳にしたりしているから、思いつかされるのだ〔出典:実踐哲学の学び(その2)「知らせと必然」〕。
自分自身を考えてみても、生(命)を受ける瞬間から、親を選ぶことも、身体を選ぶことも、能力を選ぶこともできない。生まれる前提として与えられたものは、何一つ自分で選んでいない。その意味で、出発点に自由意思はない。考えること・心に思うこと・目で見ること・耳に入ること・周囲で発生すること──すべて神佛によって「させられている」のであり、法則どおりのことが必然的に起こっている。だからこそ、「どうしてこんな事件が起きたのか」と原因を追求でき、「意味がある」と解釈することもできるのだ。
〔次章への橋渡し〕「出発点に自由意思はない」とは、人に何の余地もない、という意味ではない。心・心掛け・考えだけは自分のものとして残されている──この“必然の中の余地”は、次章(第五章)で扱う。
この「偶然はない=すべてに意味がある」という支柱を、原典はこう据える。
【原典】第一章 第五理 万有は、意趣の所産である 『諸法の原理原則』
── 全文は 第一章「宇宙は一つの『決まり』に貫かれている」 の項に既出(諸法の原理原則 19頁・標題と頁は図6)
万物は、気の交流を行っている
一般には、人間同士と動物以外には意思がなく、意思の疎通はできないと考えられている。しかし、神佛に介在してもらえば、動植物や鉱物との間でも意思の疎通が可能である。特に、人や動物は行動できるため、大自然の「或る力」からの霊気を受け、意図を持って動かされやすい。人間関係こそ、知らせの最たる現れである。なぜ、あの人との出会いが起きたのか。なぜ、あの事故に巻き込まれたのか。なぜ、あの仕事が来たのか──それらはすべて「させられている」ことであり、意味がある。
「因縁果」の実際
代表的な法則として「因縁果(いんえんか)」がある。
・因(いん):物事の原因・根本
・縁(えん):原因と結果をつなぐ経緯・条件
・果(か):結果
善い原因と経過は善い結果を生み、悪い原因と経過は悪い結果を生む。現状が悪いのは、悪い原因と経過があるからだ。善い結果を生むには、悪い原因・経過を排除し改善すればよく、そうすれば必ず善くなる。これは「形而下の因果関係」と「形而上の因果関係」の両面で能いている。
【具体例】お金の公私を教えた交通事故
ある婦人が車で出会い頭の交通事故を起こした。相手が細い路地から飛び出したため過失割合は九対一で、自分は一だった。「何のお知らせか」と神佛にお尋ねしたところ、修理費に意味があった。その日、財布に手持ちがなく、自分が会計をしていたある団体の財布から拝借して買い物をしていた。その金額が、自分の車の修理費のちょうど十分の一に当たった。お金には公私の別があることを教える「証(さと)し」だったのである。表面的には「相手が悪い」と見える出来事でも、形而上的には自分へのお知らせが込められている。
この因縁果を、原典は次のように定める。
【原典】第二章 第五理 万有、諸行に因果律がある 『諸法の原理原則』
── 全文は 第一章「人間は『させられている』」 の項に既出(諸法の原理原則 35頁・標題と頁は図6)
いまの状態は過去の因縁が結んだ果であり、いまの力・作が未来の因縁になる(過去→現在→未来のつながり)。そして、その因縁がどのように返るかを、原典はさらに述べる。
【原典】第二章 第六理 万有、諸行は因果応報する 『諸法の原理原則』
── 全文は 第一章「人間は『させられている』」 の項に既出(諸法の原理原則 37頁・標題と頁は図6)
善因善果・悪因悪果──因縁の度合いに比例して結果が返る。物質の物理・化学変化も、人の生活に起こる出来事も、例外なくこの流転の中にある。だからこそ、原因を問い、心と行いを改めることに意味が生まれるのだ。
第一章で見た「させられている」、三法印の「させられている」、本章の因果応報。この三つの関係の概略が図14である。
図14の読み方
図14は二段に読む。上段は「させられている」を三つの問いから見る。「誰が させるのか」=「常に大自然による『自然調節・制御作用』を受けている」(諸法無我)で、「必然的に発生するもので、偶然に発生するものでは決してない」。「なぜ させるのか」=「一切万有は、大自然の意趣により、産み出される。だから、あらゆる現象(出来事)には…大自然の意図がある」。「どのように させるのか」=「『力』『作』の能きの『因縁』の度合いに応じて、『報果』に現れる」。三つは別々の話ではなく、「一つの事実を三つの問いから見たもの」である。下段は原典の細目「させられるとデータ」を因・大自然・果の順に並べたもので、「きちんきちんと、正しい『データ』を入れなければ、正しくオートメーションで動かない」〔出典:諸法の原理原則 第一章 第五理/第二章 第一・二・五・六理〕。
