2026年10月12日(月) 学び・実践
「ご神示」は困った時に使う?
「ご神示」は困った時に使う?
あなたは、「ご神示」をどの様にさせて頂いていますか?
私たち誰もが、困ったことがあると直ぐに慌て、焦り、そして悩み、誰かに相談する、A,I,などに頼ろうとするのではないでしょうか?
そのような事を、何度も何度も繰り返し、「次は大丈夫?」と言っても、気が付けばまた同じような、似たような失敗をやっている。
(AIは個別事例には対応できないし、平均的な判断しかできない)
これがいわゆるご神示をしない「人知」の結果で、そして、何か不都合が起こって、慌てて「ご神示」を立て、お伺いしているのではないでしょうか?また、「絵姿」を頂いているのではないでしょうか?
(同じ苦が起こる、絵姿で同じことが出る。これもご神示をしていない証拠)
そうではなく、「ご神示」とは、日頃から困ったことが起こらないようにしていくための、行動、発言、考えの「道標」ではないでしょうか?
(「この学びは対処療法でもあるが、予防医学でもある」:当来佛)
また、一段上のご神示をさせて頂きながら、まず自分の性質・性格の我欲を抑える、次に癖(悪い)を見つけ、どこが悪いか?その原因を作る原(もと)を改めていく、その実践をしていくことが学びであり、善に繋げていく道標なのです。
だから、ご神示は「時々」とか「思い出した時」とか、「困った時」「迷った時」では、道標にはならないのです。まして業の改善にはならない。
道標とは、道しるべ、信号。自分の判断で決め、「お伺い」で行くべき方向を示してもらい、自分で歩むためのもの。
見なかったり、お伺いを忘れて居たりでは、道(どう)を外れるもとである。
まして、別の道に入って迷ったと思った時ではもう遅い、また赤信号で進入し衝突事故の可能性もある。
人生では取り返しがつく場合と、回避できず取り返しの利かない場合もある。
そのように、学びには「命と生活が懸かっている」(当来佛)
大自然は言う、「大自然の法則」の学びは、正しく大自然の霊(観能)を受けさせて頂き、我を離れ正しい心で観応することで教えて頂き、正しく日々の衣食住の生活の中に取り入れ、一つ一つの事をどの様にやっていくか?それが大事なことではないでしょうか?
何も、考えないで生きれば自分の我欲のままで、結果を変えることは出来ない、けれど結果を、未来を少しでも善く変えたいのなら、一つ一つ「ご神示」頂きながら、生活することが必要なのではないでしょうか?
それを、選ぶ?選ばない?それは自分なのです。
同じ生きるならどちらかを選択しますか?