章34

教本『大自然の法則と人間の使命』

第三十四章 体験から学ぶ法則

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凡例:金枠=原典(暗記対象・出典付き。主に『実践』『実踐哲学の学び(その2)』『形而上学のすすめ(一)』に依る)/灰枠=〔編者注〕・譬え・具体例(原典の言葉ではない)/〔出典:…〕=地の文中の典拠。教義は不変、原典は実在テキストからの引用のみ。

この章は、体験の章である。

教学優先、知識優先のような風潮があるが、そうではない。知識偏重では、何も得ることができない。確信も得られない。いつまでたっても奇跡を願う信仰のままで、それは形而上学的ではない。この教えは、聞いて終わる教えではなく、実践し、体験し、体得する学問である。

本章では、体験がいかにして人を教え、確信を作り、人を救う道具になるかを、原典に即して見ていく。

一 「させられている」の確認

単身赴任をしていた人が、会社でつまらぬ事でカッとなり上司に短気を起こした。その夜実家に電話すると、幼い子供が庭で転び額に大きな傷をしたと聞かされた。

転んだその時間を妻に聞いてみると、自宅から二百キロ近く離れた赴任先で自分が上司に短気を起こした、ちょうどその時間だった。

ご神示で解くと「短気の戒め」と教えられた。自分の言動が神佛の監視下にあることを知った〔出典:実踐哲学の学び(その2)〕。

〔編者注〕 この確認は、書物では得られない。「自分の身の上に起こった」という体験だけが、「させられている」を知識から実感に変える。

二 形而上の原因を知る

ある家は代々、奥さんが早死にして後妻さんがいる家系だった。自分の妻も父の本妻と同じ年齢の頃に乳癌にかかっているのが分かった。形而上の原因があることを教えられ、先祖の家系を調査してみると、明治の戦役で遠くの地で亡くなり、供養が出来ていない本家側の先祖がおられるのが分かった。それをわざわざ尋ね、寺で発見し、その人の供養をした。その後、寝たきりの父が起きて歩くようになった。既に四十年近くになるが、その夫人は今でも健康で暮らしている。形而下的には体質の問題であるが、形而上的には、歴代先祖を粗末にしている証だった〔出典:実踐哲学の学び(その2)〕。

三 言葉だけの学びとの違い

では、この教えの「学び」とは何か。知識の収集ではない。ご神示を頂いて行動するところから始まる。

【原典】実践することが大切 『実踐哲学の学び(その2)』

「この学びの方法は、実踐することが大切で、まずご神示をいただいて行動するのだ。そうすれば、必ず行き詰る。そして、行き詰まった事柄、分からない事柄を、自分から積極的に質問しないと進展は無い。(中略)神佛のご指示を仰ぎながら学ぶのであるから、人間の知恵や知識だけで行う言葉だけの学び(講習会、セミナー)とは、確然とした違いがある。つまり、神佛が、各自を導いてくださる学びである。また、人間同士の間では許される言葉遊びや誤魔化しが通用しない。正しい内容を、正しく受け取り、正しく学ばないと、神佛が能かれないからである」

── 出典:実踐哲学の学び(その2)

まず行動し、行き詰まり、問うて進む。行き詰まりの無い学びは、まだ行動していない証拠である──知識が先ではなく、体験が先なのだ。

四 実践し、体験により体得するしかない

【原典】体験により体得する 『形而上学のすすめ(一)』

「形而上、形而下の加味配合、バランスのとり方が重要となる。これらは数字で表わされるものでも、まして計測機で示されるものではないのだ。実践し、体験により体得するしかない」

── 出典:形而上学のすすめ(一)

【原典】必ず実践という体験が必要 『形而上学のすすめ(一)』

「特に形而上学は、実践、実行による『体験』が大切だ。(中略)必ず実践という体験が必要で、それにより、神佛の実在、お力、法則を体得する。これが基礎的な修行である」

── 出典:形而上学のすすめ(一)

神佛の実在・お力・法則は、書物からではなく、実践という体験からしか体得できない。これが基礎的な「修行」だと明言されている。

五 聞くだけ・知るだけでは、何も得られない

【原典】不実践 『実践』

「聞くだけ、知るだけで実践しないから、知らせの意味を理解したけど、実行していないから、実践の仕方が違うから、実践の心掛けが違うから、実践の度合いが少ないから、(量に比例)自分勝手な解釈、自分流の理解、実践をしているから、等」

── 出典:実践(「不実践」の項・善くならない理由の列挙)

【原典】体験していないから、はじく 『実践』

「確信していないから、信じられないから、思案する。聞く機会が少ないから、信じられない。体験していないから、『そんな事あるか』とはじく」

── 出典:実践

〔編者注〕 頭だけの理解者が教えを「はじく」のは、賢いからではない。体験が無いからだ、と原典は指摘している。

六 気づいただけでは、知らせは終わらない

自分の欠点に気づきました。改めてそうなのかと認識を改めました。これまでの自分の過ちに気づきました──気づいただけで、行動を改めないから、何度も同じ過ちを繰り返す。何度気づいても同じことである。実践、実践と言われるゆえんである。

【原典】同じ知らせが続く理由 『実踐哲学の学び(その2)』

「同類の知らせ 似たような知らせ、同じ知らせが続く時は、前の知らせの意味を実行していない場合や知らせの意味が解け切れていない時がある」

── 出典:実踐哲学の学び(その2)

【原典】一度のさとりで終わらない 『実踐哲学の学び(その2)』

「形而上の問題解決の場合、一度の問いとその答え(ご神示、絵姿)で全てさとれ、それで解決するものではない。一度教えて頂くとそれを実踐して、次のさとりがあり、さらに進んで行くのである。(中略)何度も同じような解明、さとりと体験、実行を繰り返して行くことで次第に、御意趣が理解していける」

── 出典:実踐哲学の学び(その2)

【原典】実行しないため(ご神示の反対・当来佛の説法より) 『実踐哲学の学び(その2)』

「五、ご指示、指導を実行しないため。怠けているため。六、ご指示(ご神示)を受けた通りに実行しないため。(中略)九、何度も同じ事を繰り返すため」

── 出典:実踐哲学の学び(その2)(「ご神示の反対(当来佛の説法より)」の項)

【原典】次に形が変わって出てくる 『実践』

「だから、さとらなくては、ご意趣を掴まなくては善くならない、次に形が変わって、知らせとして出てくる」

── 出典:実践

〔編者注〕 「気づき」は完結点ではない。実践して初めて次のさとりに進める中間点である。気づいたのに実行せずにいれば、知らせは消えるのではなく、形を変えて再び来る。

七 体験すれば、確信が持てる

【原典】体験すれば確信が持てる 『心掛け』

「体験すれば自信がわく、体験すれば、確信が持てる。『御神示はすごい』『やっぱり、絵姿もいただいて良かった』など、感動すれば、確信になる」

── 出典:心掛け(「実行していない」の項)

【原典】確信しながら前に進む 『実踐哲学の学び(その1)』

「通常は、本人の信じる度合い、理解度、本人の実踐度に応じて、効果結果を生じられるものである。『神、佛は能率給』と当来佛は仰せだった。何度か行き詰まり、不信感、疑い心を持ち、そして、それを払拭し、確信しながら前に進んで行くのである。学びは修行である」

── 出典:実踐哲学の学び(その1)

〔編者注〕 確信は一足飛びに与えられない。行き詰まりと疑いを体験の中で払拭する往復運動そのものが、確信を作る。教学だけの者に確信が無いのは、この往復運動を経ていないからである。

八 奇跡を願う信仰は、形而上学的ではない

【原典】奇跡を求めては、奇跡を得られない 『形而上学のすすめ(一)』

「時に、奇跡を求めて集まる者も居たが、奇跡を求めては、奇跡を得られない。法を求めると奇跡が起こった」

── 出典:形而上学のすすめ(一)第3章

【原典】奇跡ではなく、当たり前の事として 『形而上学のすすめ(一)』

「奇跡ではなく、当たり前の事として誰でも体験することが出来るから、納得できる。誰でも実現可能、実践による理解、効果の向上があるから。(実践哲学)」

── 出典:形而上学のすすめ(一)「この教えを学ぶ理由」

〔編者注〕 奇跡待ちの信仰は、実践の無い信仰の別名である。この教えの効果は「奇跡」ではなく、実践した者に「当たり前」に起こる──だから学問(形而上学)なのだ。

九 真摯な学びが守護を呼ぶ

入団しているだけや、単に絵姿を解くだけでは、助かることも救われることもできない──これは証言録に繰り返し出てくる教訓だ。

神佛の力に限りはない──助からないのは、人間の側にそのお力を頂く覚悟がないからだ、と当来佛は説かれた。

【原典】人間の体はアメ細工 『証言録』

「人間の体はアメ細工だ。どうでもなる。神様に力がないのではない。助からないのは、人間の方にそのお力を頂く覚悟がないのだ」(当来佛)

── 出典:証言録

神佛の力は無限だ。しかし、その力を頂くには人間の側にも、受け取る器が必要だ。真摯な学び・実践・菩薩行の積み重ねが、その器を作る。

〔編者注〕 「覚悟」も「器」も、頭の中では作れない。ここまで見てきた通り、実践という体験の積み重ねだけが器を作る。

十 体験は、人を救う道具になる

【原典】自分の体験、自分の確信を話す 『実践』

「何を教える。法を教えるのだが、『自分はこのように学びました』という姿勢で、何よりも自分の体験であり、自分の確信、自分が善くなってきたことを他に話す、教える」

── 出典:実践

【原典】確信をもって、本気で 『実践』

「確信をもって、本気で、また学ぶつもりで教える。知ったかぶりはいけない。分からない時は分からないという勇気。私は、このように学びました。私はこうさとりましたという姿勢」(当来佛)

── 出典:実践

〔編者注〕 体験は自分一人の救いで終わらない。体験を語ることがそのまま「法の布施」となり、聞いた者にも同様の効果が生じる(五十展転)。教学の知識は語れても、体験の無い者に、この布施はできない。体験から学ぶ法則は、ここで「人を救う法則」につながる。

第三十四章の十の節を、行動から確信、そして人を救うまでの一本の流れにしたのが図66である。

図66の読み方

 図66は左から右へ読む。まずご神示を頂いて行動する。すると「必ず行き詰る」。行き詰まった事柄を自分から質問して進む。実践し、体験により体得する。体験すれば、確信が持てる。そして自分の体験、自分の確信を他に話す。下の段は、この流れが止まるところで、「聞くだけ、知るだけで実践しない」と、同じ知らせが続き、「次に形が変わって、知らせとして出てくる」。また「奇跡を求めては、奇跡を得られない。法を求めると奇跡が起こった」。

図66 体験から学ぶ法則 ── 行動・行き詰まり・体得・確信・化他(第三十四章)
図66 体験から学ぶ法則 ── 行動・行き詰まり・体得・確信・化他(第三十四章)(押すと画面いっぱいに拡大・もう一度押すと戻ります)

第八部の三つの章を一本の筋で振り返るのが図67である。

図67の読み方

 図67は三つの章を左から読む。第三十二章は当来佛の出現と在・力・法・教、第三十三章は「在」「力」の基礎部分である証言、第三十四章は体験から学ぶ法則である。下の段は、証言の時代から今への変化で、「病気を治そうと思って信仰しては、絶対に治らない」「学問だ。さとれ」。体験は、確信となり、人に話すことで人を救う道具になる。

図67 第八部の総まとめ ── 実体験が示す神佛の実在(第八部)
図67 第八部の総まとめ ── 実体験が示す神佛の実在(第八部)(押すと画面いっぱいに拡大・もう一度押すと戻ります)
『大自然の法則と人間の使命』正本v127の「第三十四章」を、本文の文字を変えずに掲載しています。精査前の暫定版です。金枠=原典(出典付き)/灰枠=〔編者注〕。図は正本の図をそのまま載せています。
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